プラスティックは本当に悪なのか!? #環境問題を問う1
海洋汚染の根本原因はプラスチックゴミではない
レジ袋が有料化され、プラスチック製品を使うと白い目で見られるようになりました。
私はもともとレジ袋はできるだけもらわないのが10代の頃から当たり前でした。エコ意識は子供の頃からありました。ペットボトルが世に出た頃も再生資源ではなかったプラスチックゴミが増えることを懸念したものでした。
無駄にゴミを出したくないと思う気持ちはありますが、昨今の海亀の鼻からストローを抜く写真と共に叫ばれる「脱プラスチックがエコ!」という風潮にも疑問が生じます。
なぜなら、海洋汚染はプラスチックゴミが根本原因ではないからです。プラスチックゴミを海に捨てている行為が根本原因です。
2年ほど前にドキュメンタリー番組を観て書いた記事にあるように、特に東南アジアなどの後進国や中国ではゴミの管理が全くなされていません!島にどんどんゴミを積み上げていくだけで、風や波で当然海へとさらわれていきます。組織的にどんどん海に捨てられます。
京丹後に住んでいる友達にも聞きましたが、海岸に打ち上げられるゴミは海外製が多いそうです。
もちろん日本人の中にも残念ながらゴミを海に捨ててしまう人もいますし、風で飛んでしまうこともあると思います(東南アジアのゴミ量とは比較になりませんが)。
とにかくゴミの管理方法やゴミを海に捨ててしまう行為自体がまずは問われるべきではないでしょうか?プラスチックにばかり論点が及ぶのは、問題の論点がすり替わってしまっていると思います。
プラスチックがどう作られているかご存知ですか?
プラスチックの作り方の解る参照ページを活用させていただきますね。
“「原油」を、石油精製工場で熱して、気体になる温度の差を利用して、ガソリン、ナフサ、灯油、軽油、重油、アスファルトに分けます。プラスチックは、この中の「ナフサ」からつくられます。” (プラマテスズ株のHP引用)
つまり、原料となる原油から、複数の油を生成し、そのうちの1つナフサになったものがプラスチックの原料です。
極端な話、プラスチックが全く使われなくなったとしたら、プラスチックの原料となるナフサが余ります。脱プラをしても原料は余るのです!
原油を牛肉に例えて説明すると、サーロイン、リブロース、肩ロース、中バラ、ヒレなどは消費されるけど、モモ肉は用途がなくなり捨てられてしまう、というような話になります。
その場合、余ったプラスチック原料はどうするのでしょうか?捨てるのでしょうか?燃やすのでしょうか?要は単純に「脱プラ」がエコであるとは言えません!
環境問題は、どこか欧米企業のイメージアップや利潤のために利用されることが多々あると思います。どこかいつもきな臭いのが環境問題なんですよね・・。
プラスチックでなければ消耗していいのか?
プラスチックのストローを紙ストローに替えて使う飲食店も出てきました。
消耗品にプラスチックの代替原料として紙が使われますが、では、紙は何でできているかというと、当然「木」ですよね。「紙を使うとエコ」というような風潮が出てきましたが、では、紙資源は無駄に消費されていいというのでしょうか?
流行りの正義感に溢れたスローガンによって、狭視的に環境問題を捉えてしまってはいないだろうか?
環境問題はシンプルではない、いつも難しいな〜と思います。
ちなみに以前、中東戦争の時に重油まみれになったウミドリの写真が出回りましたが、結局記者のやらせだったという話があります。ウミガメの写真も創造物だと指摘する人もいます。環境問題は人の正義を煽ってどこかの企業のイメージアップや利益になるよう使われることがあるのが実態です。ここで何か私が解決策を示せる訳ではありません。ただストローやレジ袋を減らすのではなく、プラスチック問題の本質を捉えなおすきっかけにしていただければ幸いです。